泣き虫でいじめられっ子の私が暴力でカースト上位になった話

これは私の幼稚園から小学校までの話だ。

私は幼稚園で同じ組の子に虐められて、毎日幼稚園に行きたくないと泣き叫んで登園拒否をしていた。泣き叫ぶのには他にも理由があった。


私が母親と離れるのを極端に嫌う子供だったからだ。小さい頃から母親にべったりで大変打たれ弱い子だった。なので毎日毎日、兄に揶揄われては泣かされていて、家族からも泣き虫と呼ばれた。たまに近所の年上の子と遊んでもらっている時も、少しふざけて叩かれただけでやっぱり泣く。それはもう、泣き三昧な幼稚園時代を送った。


しかし、私は小学校に入学して、いきなりいじめられっ子を卒業した。


それはタイトル通り暴力である。暴力で全てを支配する、北斗の拳の住民の様な小学生になってしまったからである。


「やはり暴力…!暴力は全てを解決する!」


とはよく言ったもので、本当にそうなのだ。


ちょっかいを出す奴、急に殴ってくる奴等々、全て取っ組み合いで負かせば、もう泣かされる事は無くなった。どうやって泣き虫が取っ組み合いで勝っていたかと言うとズバリ、遠慮をしなかったからだ。


通常、殴り合いをする時、このぐらいにしとかないと泣いちゃうかもなと言う相手への配慮、それ以上やると先生に怒られるな、と言う保身など皆んな様々な理由で遠慮して、ある程度手加減をする。


けれど、私は兄の四つ下で勝つには全力で勝負するしかない。なので、私は初めから全力を出して兄に立ち向かった。しかし悲しきかな、4歳の差はなかなか大きく、私はほとんど勝つ事が出来なかった。

けれど、この経験から私は相手を全力で殴る事に躊躇しない心を手に入れた。


同年代の喧嘩は軽いパンチや蹴り、突き飛ばしから始まる。なので始めからフルパワーで相手の急所である顔、首、腹、股間などを狙う私に誰も勝てなかった。

初めて喧嘩をした時はあんまりにあっさり勝ってしまったので逆に困惑したが、コレさえ有れば大丈夫だ。とすっかり暴力に魅入られた。


こうしてまともな倫理観を捨てた私は、安寧を手に入れた。もう誰かに泣かされることは無く、馬鹿にされることもない。理不尽な事が多い家とは違って学校は完璧な居場所だった。喧嘩に強いとそれだけで結構なステータスであり、男女ともに友達が多かった。そしてそこから新たなことを始める。


それは、兄の真似である。幼い頃から家庭環境は最悪で、たまに手が出て、子供にも平気で殺害予告をする父親と、子供達の喚き散らす声にノイローゼ気味でイライラしている母親が毎日のように怒鳴り合いをしており、私達兄弟はストレスフルだった。兄はそのストレスを私を泣かせる事で発散し愉悦を得ていたが、家庭内最弱の私には泣かせる相手が居ない。そこで私は兄にやられていた事を同級生にし始めたのだ。


いつも学校で喧嘩相手を探していた。相手は決まっておらず、喧嘩を売ってきた奴以外に、泣かされても次の授業にはヘラヘラして揶揄ってくる奴や何をされてもめげずに毎日殴りかかってくる奴等に何かされる度に喧嘩すると言うことを繰り返していた。


驚いたことに、こんな最低なストレス発散の仕方を学校で行っていた私は先生達からは真面目な生徒だとよく言われた。先生達は私が日々暴力行為を働いていることを知らず、成績も悪くなかったからだ。

三者面談で怒られたこともなく、良い子ですね、なんて褒められた。家族も先生もまるで私の事がわかっていなかった。


私の行いが知られたとしてきっと怒られる事には違いないが、誰も自分を知らない、分かってくれないとさらに腹を立てて徐々に喧嘩の回数が多くなってきた。


喧嘩が多くなれば相手も対策をしてきて、私同様に初めから急所を狙う奴、複数人で挑んでくる卑怯な奴が増えた。中には他クラスでいじめっ子として有名な喧嘩の上手い奴も来て、ズブズブと暴力に溺れていった。私はどんどん躊躇がなくなり、時には相手の目を狙ったり、机に頭を打ちつけたりする様になった。


ここで止まらずに暴力の道を突っ走って行ったら、きっと取り返しのつかないことをしでかしていたかも知れないが、反対に私は徐々に更生していった。

何故なら家庭がマシになったからだ。


なんと兄が家にいる事を辞めたのだ。近くに金のない小学生が遊べる所がない田舎だったので、今まで兄弟同じ部屋で息を殺してゲームをするなり漫画を読むなりしていた。

けれど、学年が上がりお小遣いをもらえるようになった兄は、友達と頻繁に繁華街に遊びに行き、家にいる事が少なくなった。

兄は父親に会うことも限られ、遊ぶ事でストレス発散になり、兄との喧嘩もかなり減った。これにしたがって私のストレスも減り、学校でも喧嘩は売られた時しか買わず、暴力は必要最低限になった。


さらに読書に目覚め、暇な時は本を読み友達と感想言い合い、図書委員会に入った事で学校生活がさらに充実した。オタクな友達といる事も増えたがいつものメンツもそれを許容してくれて、カースト上位は今までの行いもあり小学校を卒業するまで保たれ平穏に終わった。

 

コレは一例に過ぎず全てをそうだと決めつける事は出来ないが、子供は家庭に影響されやすいと言うことだ。泣き虫でいじめられっ子の私がいじめっ子さえも泣かす所まで暴力方向に進化する程である。


その後の私は家にいる事がさらに減り、比例するように暴力行為とは疎遠になって、高校からは全く暴力とは無縁な存在となった。


暴力自体良く無いし、今では喧嘩なんてする理由も無いし、したくもない。

当時は家が相当なストレスの原因だったので、もしあの時の私に会えるなら児童相談所に相談する事をお勧めしたい。


私は幸運にも相手に後遺症を負わせる事はなかったが、一歩間違えれば一生後悔をして相手に償わなければいけなかった可能性もある。

もし子供を育てようと思うなら自分と子供の為にも家庭環境には気を遣って欲しい。